マタイの福音書 6章 25~34節
2024年8月25日 第4聖日
牧師 長江 忠司

 どんなに豊かで健康な人でも、様々なことで心配してしまいがちです。しかし、主は心配しないようにと言われています。
 なぜ、私たちは心配してはいけないのでしょうか。一つは、心配は神への不信仰だからです。心配する時に、主が守られ益とされるとある約束を信じないことになります。もう一つは、心配しても何も変わらないからです。逆に体や心を痛めることになります。
 次に、心配してしまう時に、どう対処すれば良いでしょうか。一つは、神が心配してくださっていると覚えることです。神が私たちに個人的に心を配ってくださっているのです。何と心強いことでしょうか。
 もう一つは、神との関係をまず求めることです。神に心を明け渡して支配していただき、また神のみこころの内を歩めるように求めて行くことです。そうしたら、主が必要を満たしてくださると約束してくださっていることを覚えましょう。
 私たちがどんなに心配して心騒いだとしても、神はみことばにより凪にしてくださいます。その主に頼り、心配から解放されましょう。

<聖書のことば>
ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
マタイの福音書 6章 25節