イザヤ書 49章 13~ 16節
2025年 5月 11日 第2聖日
 牧師 長江 忠司

 ユダ王国の民は神に反逆したために、バビロン捕囚にあいました。その中で彼らは神に見捨てられたという思いを持ったかもしれません。この個所から教えをいただきましょう。
 第一に、神が私たちを忘れることはありません。母親はお腹を痛めて産んだ我が子を忘れることはないでしょう。仮に忘れたとしても、神が私たちを忘れることは絶対にありません。
 第二に、名前を刻む程に覚えてくださっています。何かを手に刻むならば、忘れることがないだけでなく、常に見て心に留めるでしょう。主は私たちの名を手に刻む程に、私たちを常に覚えてくださっているのです。
 第三に、神は私たちを顧み回復してくださいます。エルサレムの神殿は破壊され、中にあった物は奪われました。しかし主はそれらを戻されると言われました。神は回復させてくださるお方なのです。
 時に、神様を見失いそうになることがあるかもしれません。しかし常に私たちを覚え目を注いでくださっている神を忘れないようにしましょう。

<聖書のことば>
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。
イザヤ書 49章 15節